オレは泣かない!
カール伯父さんが亡くなった後も、身近な人々の訃報は続いた。
まず、パティ女王陛下。
次にオリンピアの父アルヴィン。
母の親友である魔銃導師アンジェリカ。
特に兄、古くからの友人二人と相次いで親しい者を失った母にはかなり堪えたようだ。
「この年だから仕方がないけれど寂しいわ...。もっとも、わたしがいつか旅立つときにみんなが向こうで待っていてくれる...そう思えばいいのかしらね」
旅立つ者...残される者、どちらにも悲しみはある。
だが旅立つ者の為にも...残される者は前を向いて生きていかなければならない。
「いえーい、ひっさつ、バグウェルスラーッシュ!」
「こらジーク、うるさいぞ、もう少し静かにしなさい!」
...悲しい出来事が多い中でも、ひとすじの光明はある。
赤ん坊だったジークが1歳を迎え、歩きだすようになったのだった。
コロミナス家の食卓も一段と賑やかになった。
特に父を失い傷心だったオリンピアにとっては、大きな慰めになったようだ。
オリンピアは「初めての息子」に大層ご執心となり、姉二人は少々ヤキモチを焼いている。
しかしこの息子...顔立ちはオリンピアに似て女の子のように端正だが、とにかく...無駄に元気すぎるのだ。朝食を食べると弾丸のように飛び出して行き、暫く帰ってこない。
いつもどこにいるのか解らないので、探すのに苦労する。
大抵「こんなところに?」というような場所で見つかる。
ある時は、果樹園のポムの木のてっぺんによじ登っていたので、降ろすのに苦労した...。
「イグナシオもアルベルトも大人しい子だったし...オリンピアちゃんだって、そうでしょ?一体誰に似たのかしらね...」
「そりゃ、一人しかいないだろう」
夕食後の寛ぎの時間、父は母をチラっと横目で見やる。
「なんですって!」
「...ジークは君たち兄妹を足して二で割った感じだと思うよ。ヒルダもお転婆だったが..それもきっと君に似たんだな」
おれは母やカール伯父さんの子供の頃を当然知らないが...まあ何となく想像はつく。
「ジーク、大きくなったら何になりたい?」
話題の人となっている息子に、お約束として一応聞いてみる。
「オレ?...もっちろーん...」
ジークはパッと両手を広げて高らかに宣言する。
「バグウェルー!!」
自分が「人類という種族」であることを、まだ認識していないらしい...。
「あら、ジーク君、バグウェルなの。亡くなった大伯父さんと一緒だね!」
「おおおじさんー?ばあば、それだれー?」
「カール大伯父さん。ジークがポッケに入れてる木剣くれた人だよ。おばあちゃんの、お兄ちゃん。でもお兄ちゃんは大人になってバグウェルじゃなくて龍騎士になったんだけどね」
「りゅうきしー!すげー!」
「ジーク君もなってみる?」
オリンピアがジークの頭を撫ぜながら言う。とにかく可愛くて仕方がないようだ。
「んー、でもオレ、バグウェルがいい!」
「あら、どうして?」
「だって、そらとんだり、ほのおはいたりできるじゃん!そっちのほうが、カッコイイ!」
...やはり自分が人間であるという自覚がない。
「だからね、こないだ、ポムの木にのぼって、そらとぶれんしゅうしようとしてたんだ。そしたら父ちゃんにおろされちゃった」
...あの時さっさと降ろしておいて良かった。しかし、降ろすとき何やらぎゃーぎゃー言って怒ってたのは、バグウェルになろうとしたのを邪魔されたからなのか...。
そういえば、タナンの高炉の目の前で見つかった時もあったが、あれはまさか、炎を...
もしあの時、ジークを見つけるのが数分遅かったら。
背筋がぞくりと寒くなった。
これは今のうちに言っておくしかあるまいー。
「ジーク」
おれはジークの頭にぽん、と手を置いた。
「残念ながら、お前は大人になっても、バグウェルにはなれない」
「...!!!」
ジークの目がひときわ大きくなった。そして顔がブルブルワナワナ震えている。
どうやらもの凄い衝撃のようだ。
「なんで-!」
「なぜならお前は人間で...対してバグウェルは”龍”という全く別の生き物だからだ。人間は空も飛べないし、炎も吐けない。いくら練習しても、無駄だ。全くの無駄。」
「えええ....」
「ちょっとイグナシオさん、そんな言い方じゃ、あまりに身も蓋もないわ...ジーク君が傷ついちゃうわ」
オリンピアが不満を漏らす。本来妻はもっと冷静で聡明な女性なんだが...。恋は盲目ならぬ、息子愛は盲目...といったところか。
「ジークが骨折したり火傷するほうが、今傷つくよりよっぽど恐ろしいことだよ。わかったな、ジーク。ポムの木から飛び降りようとしたり、タナンの高炉から炎を取りだそうとしたり、二度とするなよ。痛かったり熱かったりするだけで、絶対にバグウェルにはなれないからな」
「うー...」
ジークの顔が真っ赤になり、目に涙が溜まってきた。
こりゃ、泣くな...、すごい泣き声になりそうだな...
どうなだめるか身構えたが、その瞬間は訪れなかった。
ジークは涙を目に溜めながらも、泣き出さないよう小さな拳を握りしめて、ブルブルと震えながらもじっと耐えているのだった。
「ジーク....」
「くやしい..」
ジークは下を向きながら呟いた。
「オレ、バグウェルになろうとおもって、いっしょうけんめいれんしゅうしたのに...。ニヴの岩に向かってうぉーって叫んだり、つよいほのおがだせるように赤ペピかじったり...ひみつのとっくんたくさん...やったのに...なれないなんて...」
そんなことまでしていたのか。まあ、木から飛び降りたり炎に近づこうとするより遥かに可愛い行為ではあるが。
「くやしい...」
そう言いながらも目に溜まった涙がジワジワと頬に垂れてくる。
ジークはそれが嫌なようで顔をしかめている。
「ジーク、無理しなくてもいいんだぞ、泣いたって誰も怒らないから...別にお前が悪いわけじゃないし。」
「...やだ」
ジークを小さな拳を握りしめたまま首を振る。
「オレ、なくのやだ。ぜーったい、なかねっ!そんなかっこわるいの、やだ!」
...なんとまあ意地っ張りな...。
そうはいっても所詮は子供なので堪えきれず涙はボロボロと落ちてきているが。
「ジークは泣かないよ。わたしと喧嘩してもぜったいに、泣かないの!ほんと可愛くない!」
「そうなの、ジークはいっつもそうなんだよ」
姉たちが横から口を出してくる。おれの目の届かない所でもそうなのか...。それにしても長女のミカサは「ハルバードは渡せない」と言って以来少し不安定で、そのせいかジークに結構当たっている。ミカサは来年成人するし...この子にももう少しフォローが必要だ...。
それはそうと、とりあえずジークをこのままにもしておけない。
おれはもう一度ジークの頭に手を置く。
「ジーク、お前は人間だからバグウェルみたいに空を飛んだり炎を吐いたりはできない。だが、人間にしかできないやり方で戦うことができる」
「...エ、どういうこと...?」
下を向いてブルブル震えていたジークの動きはピタリと止まり、代わりにおれの顔を見上げてきた。とりあえず興味を持ったらしい。
「...まず、魔法。それにもう一つ、斧や剣、銃といった武器を使う。魔法はバグウェルの炎、武器はバグウェルの牙と同じようなものだ。魔法と武器...その力は、おまえの頑張り次第で...本当にバグウェルの炎と牙に近いものにできるかもしれない」
「ぶきと...まほう?それで...バグウェルみたいに...なれるの?」
「それはお前次第だな。お前の頑張り次第だよ」
「がんばればなれる!バグウェルみたいに、わーい!バグウェルじゃないけど、バグウェルみたいになれる、わーお!」
ついさっきまで涙を堪えてブルブルしてたのが嘘のように、両手を広げて喜んでいる。
といっても頬には涙の筋がついたままだが。それにしても立ち直りの早い奴だ。
「...でさ父ちゃん」
「何だ?」
「どういうとっくんすれば、いいの?」
...既にやる気満々のようだ。
「今はまだ特別にやることはない。お前がもう少し大きくなって森の小道に入れる歳になったら、魔法や武器の使い方を教えてやるから。」
「えー、つまんないー」
「まあ、今できることと言ったら、足腰を鍛えておくことかな。友達と駆けっこしたりするのはいいんじゃないか?」
「あらいいじゃない。ジーク君、お隣のギョーム君でも駆けっこに誘ってみたら?」
オリンピアが助け舟を出してくれる。
ギョームはペトレンコ家の山岳長子で、おれの従妹ロシェルの息子でもあった。気弱な父親アンテルムと違って、結構しっかり者のようだ。同じ年のジークとは既に仲がいい。
「うん、そうする!あしたのあさになったら、ギョームさそう!」
「...それがいいよ。そういうわけで繰り返すが、木から飛び降りたり、高炉に手を入れるのは絶対ダメだぞ。それは悪い特訓だからな。良い特訓とは、そんな簡単に手っ取り早くできることじゃなく、地道な積み重ねのことを言うんだ。つまりお前がしばらくやることは、とりあえず....走ることだ、わかったな、ジーク」
「わかった、オレ、はしる!あしたから、はしるのがんばる!」
「そうしなさい、じゃあ、もう寝ろ」
「えー」
「ぐっすり寝て力を蓄えないと、明日駆けっこでギョーム君に負けちゃうわよ。さあ、ジーク君、一緒にベッドへ行きましょう、ミカサもアニも、いらっしゃい」
「ね、ジーク、いこ」
アニがジークの手を取ってくれた。ジークはしぶしぶながら母と姉たちと一緒に二階に上がっていった。
「バグウェルパーンチ!」
「もー、ジークうるさい!」
暫くの間、二階からそんな声が聞こえてきたが、ちょっと経ってからようやく静かになり、子供たちを寝かしつけたオリンピアが一階に戻ってきた。
「お疲れ様、オリンピア。...ありがとう」
「ふふ...イグナシオさんもね。」
「それにしても、あいつがあんなに意地っ張りだとは思わなかった。ああいう部分は一体誰に....」
「俺かもしれないな...」
やり取りをずっと静観していた父が口を開いた。
「父さんが?」
「まあ...あそこまで極端じゃないかもしれないが...俺も人前で泣くのは嫌だったな。母さんにも厳しく言われてたしね、あなたはコロミナス家の跡継ぎなんだから、やたらめったら泣くものじゃありません...ってね」
「そう言えば子供の時、ジャスタス君泣いてたの、ほんとに見たことなかったね。色々言ってたけど結局自分にも似てるんじゃん!」
「ハハ...」
痛い所を突かれて父は困り顔のまま笑っている。
「誰に似てても、いいじゃないですか...血が繋がってるから、当たり前だし。あの子たちは、みんなのいろんな部分を受け継いで、また次の世代に受け継いでいくんですよ...」
オリンピアが静かな声で、皆に語りかけるように言う。
「そうだね...そうやって受け継がれて...命は繋がっていくんだものね。オリンピアちゃん、いいこと言うね」
受け継ぐ。
その言葉で、自分がやらなければいけないことを思い出した。
おれの力を誰に受け継がせるか。
ジークが歩きだし、ミカサの成人が近い。もういい頃合いだ。
「選ばれる者」をおれは決定しなくてはならないー。
これもおれに課せられた仕事の一つだから...。
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「父ちゃん、オレ、かけっこでギョームにかったよ!」
翌日の夕食時、ジークは得意顔で話しかけてきた。よっぽど嬉しかったのか、目がキラキラ輝いている。
「そりゃ良かったな、ジーク」
「でね、オレ、はしるときのひっさつわざ、考えたんだ。こうやって...」
バグウェルダーッシュ!ってね」
そう言っておもむろにポーズを取ろうとする。
「もう、ジーク、うるさいっ!」
「ジーク、食事中に大きな声を出すのはやめなさい」
「ごめんなさい....」
父に叱られて一転、しゅんとして静かになるが、また暫く立つと...
「今日ね、ギョームとすっげーでかいダダ虫見たんだよ、それがたくさんで...
ダダムシ、ザザムシ、ゾーロゾロ♪
ダダムシ、ザザムシ、ニョーロニョロ♪」
今度は聞いたことない珍妙な歌を歌い出す。
「ジークやめてよっ!食事中に虫の唄なんて歌わないで!」
「ジーク、食事中に歌うのはやめなさい」
「ごめんなさい...」
そして再びしゅんとなる
...何なんだコイツは...。
無駄に元気で、無駄にやる気があって、無駄に意地っ張り。
果たして大人になった時、こいつのこの部分が、どういう風に変化するか...。
来るべき「選択」の時に向けて、まだまだ悩むことが多そうだ...。